東大偏重は「セカイ戦略」か、それとも「地方切り捨て」か
東京大学に優秀な学生を集めるための政策が、日本の国立大学政策において再び議論の的となっている。東大を国際的な研究拠点と位置づけ、その力を結集して世界と競争する戦略は、一見理にかなったものと映る。しかし、この政策は日本全体の未来を見据えたときに果たして正しい選択肢なのか、多くの疑問が生じる。
東大偏重政策の一方で、地方創生を推進する国策との矛盾は見過ごせない問題だ。地域経済の振興や地方の活性化を謳いながら、首都圏に人材を吸い上げる構造を温存するこのアプローチは、地方を切り捨てる結果を招いていないだろうか。
東京一極集中と日本の歪み
長年の東京一極集中がもたらした影響は、地方の過疎化や経済格差の拡大として現れている。このような背景の中で、地方の高等教育機関が人材を育てる基盤としての役割を担うべきという声も強い。にもかかわらず、国としてのリソース配分が東京大学へ集中する現状は、地方をさらに疲弊させるリスクを伴っている。
また、東京大学を含む首都圏の大学が地方の優秀な学生を引き寄せる政策は、日本国内の人材循環を偏らせるだけでなく、地域間の不平等感を助長する可能性がある。東京だけが繁栄する国家モデルでは、国全体の持続的発展が阻害されかねない。
「一枚岩」の必要性
国際的な競争に打ち勝つためには、日本全体が一丸となった戦略が必要だ。地方創生や地方大学の強化を掲げながら、一方で東京大学に全力投球するという政策のねじれは、国内外における日本の一貫性を疑わせる要因にもなる。
そのためには、地方と東京、そして地方大学と東京大学が補完関係を築くような新たなモデルを模索することが重要だ。例えば、地方大学で培われた研究や技術を東京大学が発信力を活かして世界に広めるといった、相互連携の形が考えられる。
おわりに
東大に集中する政策は、その一部を地方に振り分ける選択肢を排除するものではない。むしろ、日本全体の持続的な成長を考えた場合、東京大学と地方大学の双方が輝くためのバランスが必要である。この課題にどう向き合うかこそが、今後の日本の国家戦略の成否を分ける鍵となるだろう。